せめて永遠ではない時を一瞬でも

赤西とKAT-TUNと田口と聖

20100717

 

 

 


どうやら今日で、あの日から6年が経つらしい。悪夢だと思った、あの日から。

 


たくさんの思いがあっちこっちにあるんだけど、デビューから10周年も迎えて、そろそろ私の中でも区切りを付けたくて、終着点を決めないまま、思ったままに全部書いてみる。

 

きっとすごく長くなっちゃうな(笑)

 

暇な方はどうぞお付き合いください。

 

 

 

 

 

 

 

 

初めてKAT-TUNを好きになったとき私は10歳で、それまでジャニーズ(笑)ホストかよ(笑)って全く興味すらなかったんだけど、なんなら雑誌にジャニーズのページがあれば捨てるってレベルで毛嫌いしてたんだけど、年末チャンネル変えながらちらっと流し見てたカウコンで亀梨和也に衝撃を受けたのがはじまりでした。

 

 

 

 

これが本当にジャニーズなのか?

 

世間一般でいう好青年というジャニーズのイメージからはかけ離れていて、キラキラというよりはギラギラという効果音が似合うようなこの人達は何者なのか。

 

 

 

 

2004/12/31/11:45

 

 

 

 

誇張なしに、人生変わった瞬間だった

 

 

 

 

それからはもうKAT-TUN全員を好きになるのに時間はかからなかった

 

亀梨和也(18)を知ってすぐ彼のシンメである赤西仁(20)にどはまり。惚れた。子どもながらに恋をした。なんなら本気愛(笑)レベル。


当時小学生の私。小物は全部赤、学校でもKAT-TUN熱唱そして熱弁、赤西と結婚するため()にアイドルになるとこを夢見る、下敷きに名言書きまくる、ノートやらなんやらの自分の名字を全部赤西に書き換えるなど等々見事に痛いヲタでした。我ながら。
ちなみに仁亀を越えるシンメはいないと未だに思っています。ええ。

 

 

 

ウタワラ、ごくせん、野ブタなどKAT-TUNをTVで見ることも多くなった。


とにかく厳しい我が家の条例(9時以降はTV鑑賞禁止など高校卒業まで続くこととなる)によりリアルタイムでは見れないものの、CMや雑誌等での露出も増え、わけもわからないまま気づけばデビュー。


それはそれはすごい勢いだったというのは小学生なからにもなんとなく感じていた。とんでもない田舎にも関わらず近所のスーパーに行けばPVを流し続けているTVが置かれ、某ツタヤではひたすらギリギリで〜というメロディーが流れ続け、TVをつけてもKAT-TUNを見ない日は無かった。それくらい、本当に、すごかった。今考えればだけど、飛ぶ鳥を落とす勢いとはまさにこのことを言うのだと思う。

 

 

無敵だと思った。

陳腐な言葉ではあるけれど、「最強」だと思ったし、このグループに勝てるグループなんて、ジャニーズという枠だけでなく、いないと思った。本当に。それくらい、本当に本当に本当に、かっこよくて、かっこよくて、かっこよかった。これ以上かっこいい人たちなんていないと思った。

 

今のように便利なネットも使えず、携帯も持ってない私。
情報源もなく、貧乏だった我が家はヲタ誌を買ってもらう余裕もなく新聞も取っておらず、近所のスーパーで必死でテレビ誌を見てはKAT-TUNの枠を探した。


なけなしのお小遣いでKAT-TUNにCDをレンタルし、(このときまだデビューのBOXを買う余裕は皆無)MDに落として歌詞カードを見ながら必死でパートを覚えた。

 

 

 

 

楽しかった。

 

 

 

 

出演番組を全部把握できていたわけじゃないから、偶然音楽番組でKAT-TUNを見た日は1日幸せだった。
TVのナレーションから突然聞こえてくる、KAT-TUNという響きが嬉しくてしょうがなかった。
本当にひたすらに、かっこよかった。ジャニーズという枠にはまらず、髪を明るく染め、先輩にも媚びず、ただただ我が道を突っ走るKAT-TUNが、純粋に、大好きだった。なによりも。楽しかったし、幸せだったし。

 

 

 

 

 

転機は突然だった。

 

 

 

 

 

念願だったデビュー(このときはまだデビューという重みを私は気づいていない)から半年ほど経ったあの日

 

 

 

 

赤西がいなくなった

 

 

 

 

グループを離れ、海を隔てた遠い国に。

 

 

 


わけがわからなかった。

 

何故、どうして。言葉通り目の前が真っ暗になった。

 

 


自分があの時の赤西と同じ年齢になってやっと理解できるのは、21歳なんてまだまだ子どもで、自分のやりたいことは何より優先したい年齢だということ。興味がそこに向いてしまったのだろう、そこから自分の興味を逸らしグループ活動を続けることはどうしてもできなかったのだと思う。彼の性格的にも。


あとでまた詳しく話すけど、仕事のためのプライベートじゃないもんね。あくまで、働くのは生きるための手段のひとつ。

それが幸せになるための道なら、夢なら、今なら応援したいと純粋に思えるのだけど、当時の私には到底無理だった。

 

アイドルという職業についているとはいえ、たかだかハタチそこそこの男の子に、自分のやりたいことより仕事を優先しろなんて言えるわけがないと今なら言える。

まあもちろん留学に関しては完全なプライベートな理由でなく、音楽を仕事の主とする彼らにとってはそれも理由の一つだったのだろうけど。

 

 

 


けれど、大好きなグループに、一番好きになった人がいないのを見るのは理屈抜きに苦しかった。
いちばん大好きな人がいちばん大好きな場所にいないのが悲しかったし、大好きな人たちが批判されているのを見るのがつらかった。
丁度私の家庭がうまくいっていなかった時期だったのもあり、いつになればまた大好きな笑顔を見れるのがわからない、という点も状況を余計つらくさせた。小学生ながら感じ取った、残った5人のギリギリさが辛かった。シンメを失ったかめの笑顔が辛かった。見ていられなかった。

 

 

 

 

赤西が帰ってきた日のことは本当によく覚えている。

 

 


朝がとにかく弱かった私はWSも何も見ずに学校に向かい、野ブタやらごくせんやらデビューやらで話題の中心だったKAT-TUNへの熱も冷め、学校に行ってもKAT-TUNの名前を聞かない日の方が増えていった日のことだった。

あの日小学校の帰り道、もっと言えば帰り道に友達の家に向かう道の途中、曲がり角で、親友から「そういえば、赤西帰ってきたね」という言葉を聞いた。

嬉しいよりなにより信じられなくて、遊びに行く予定があったにも関わらずすぐ家に帰り、秋にやっと買ってもらった携帯で情報を探した。

 

 

 

 

本当だった。

 

赤西が、帰ってきた。

KAT-TUNが6人に戻った。

 

 

「おかえり」と言えることがどんなに嬉しいか、大好きな人が大好きな人たちと笑っているのがどんなに嬉しいか、改めて感じた。かめが赤西の肩を組んで歌う姿が印象的だった。初めて自分のお小遣いで喜びの歌のCDをフラゲして何度も何度もリピートした日の嬉しさは忘れないと思う。

 

赤西がいる。6人がいる。笑っている。

それだけで幸せでしょうがなかった。

 

PVの赤西の笑顔を見て安心した。

"愛してる 愛してる 君がいる 素晴らしすぎる"
歌詞に重ねて何度も嬉しくて泣いた。

 

 

 

そこからしばらくは順風満帆だった。


2年くらいかな?KAT-TUNが出るTVは全部録画し、CDが出る度フラゲして何度もPVも見て、前述のように実家が厳しかったためコンサート等現場には行けなかったものの高校生になったら絶対行こうと、全力で応援していた。漫画魂も、女王魂も、チケットが手に入った惑星魂でさえ、DVDと参戦したハイフンたちのレポで我慢した。

 

 

 


順風満帆なはず、だった。

 


いつからか、赤西の態度がおかしくなった。コンサートではサングラスを外さなくなった。(これはレポで見ただけなのだけど‥)バラエティでも歌番組でもハットを被り、笑わなくなった。PVでは踊ることさえしなくなっていた。

明らかにおかしかったけれど、盲目で能天気だったわたしは一時期なものだろうと、ただの反抗期だろうと鷹をくくっていた。
だって、信じてたんだもん

 

 

中学三年生のとき、来年からはコンサートも番協もたくさん行くんだ!と意気込んでいたとき、5人と赤西のコンサート2wayが発表された。

 

不安ではあったけど、2度目のことだったし、赤西の「KAT-TUNは辞めません、戻ってきます」という言葉をただただ信じていた。

家庭でまた色々と揉め、高校生からは東京に住むこととなった。これでKAT-TUNのコンサートにもすぐ行けると、大好きなKAT-TUNについに会えるのだとわくわくしていた。

 


公開リハに行った。KAT-TUN初参戦だった。玉アリのアリーナDに入り、各メンバーのあまりの輝きに、かっこよさに圧倒された。初めての現場で、初めての本物のKAT-TUNで、衝撃を受けすぎて、あまり細かいことは覚えてないのだけれど。


そして次のコンサートこそ赤西がいるときに、6人を見るために今は貯金をしようとN.M.Pのコンサートに入るのは断念した。純粋に、楽しみだった。

 

 

 

 

 


忘れもしない2010年7月16日

 

赤西が、いなくなった。

2度目だった。

 

 

 

 

そして、1度目とは違い、2度と帰って来なくなった。未来永劫KAT-TUNのAは不在になってしまうという悪夢のような宣告だった。

 

 

 


6人のKAT-TUNはもう2度と見ることはできない。

この事実が何よりも重くのしかかった。

 

結局私は1度もこの目に6人の姿を、KAT-TUNのAの姿を焼き付けることはできなかった。
今でもこの事実を思うと、胸がヒリヒリと痛む。

 


大好きな6人の歌声は過去のものとなってしまった。


6人の歴史が更新されることはない。
6人の思い出が増えることもない。

 

最高で、最強だと、敵なし不可能もなしだと思った6人が、いなくなってしまった

 

 


発表があった16日ではなく、17日の朝の起き抜けにこのニュースを知った。

アルバムを買った。収録された曲を聴きながら、
悲しくて辛くて寂しくて苦しくて、誇張なしに、1週間ほど全く寝ずに夜通し泣き続けた。
後にも先にもこのときほど眠れなかった1週間はないと思う。


promise songだけ最後まで聴けなかった。歌詞を見るだけで涙が止まらなかった。

 


どうしてもKAT-TUNに会わなければならないと、KAT-TUNからの言葉を直接聞きたいと、もしかしたら赤西がいなくなるという事実をひっくり返してくれるのではないかと急いでチケットを探し、24日の東京ドームに参戦した。東京ドームに行くのは赤西が帰ってきたらにしようと、あの場所でおかえりを言おうと、あえて行かなかったその場所に、こんなにも不本意な形で、行くこととなった。

初めての東京ドームは天井席だった。DVDで見た景色と同じだった。とても広かった。

 


正直この日に関してはほとんど意識もないような状態で入ったせいで記憶がほとんどない。かろうじて覚えてるのは、最後のpromise songで私含めまわりのファンたちも泣き崩れていたことと、we are KAT-TUNで隣の人と手を繋ぎながら泣いたこと。


このあたりのことは、今思い出しても苦しい。

 

 

最後のマニュアルに書かれた、ごめん、ありがとう。そして楽しかった。
この言葉がどれだけ重かったか。


(結局このとき赤西からもKAT-TUNのメンバー誰からも脱退というワードは一度も出てこなくて、ソロ活動という言葉をしていたのをただただ信じて、誰か一人からでも脱退と聞くまで信じないぞなんてずーっと思ってた。痛いね。)

 

 

24日のコンサートに参戦してからは、KAT-TUNごとにも赤西ごとにも関わるのがつらくなり、中丸が来た壮行会(今考えればこれが最後のKAT-TUNと同じステージに立つ赤西を見れるチャンスだった)にも応募もせず、距離を置きはじめた。

 


CDは発売の度に買っていたけれどGoing!で路線が変わった、ダンスも揃うようになったね、雰囲気いいね、と言われたKAT-TUNにも、日本語詩をほとんど歌わなくなった赤西にも、違う、私が好きになったKAT-TUNはそうじゃなくて、という気持ちが消えずチェンユア以降のCDもほのんど買わず、yellow gold以降のコンサートにも参加しなかった。(yellow goldでムラサキのイントロが流れた瞬間は言うまでもなく号泣したのだけれど)

はじめのころは5人の楽曲に赤西の声を探したりもした。無理なこじつけを信じたりもした。


諦められなかった。

 

 

だって、私が好きになったKAT-TUNは6人で、私が好きになった赤西仁には5人の仲間がいた。

たかがアイドルが、1人メンバーが減るだけのことが、どうしてこんなに悲しくて苦しいのかわからなかった。けどどうしようもなく辛くて、寂しくて、6人でもないKAT-TUNからも、KAT-TUNでなくなった赤西からも、気づけば離れていた。自然とそういう道を選んでいた。大袈裟かもしれないけど、傷つかないように自分を守る手段だった。だって。5人とひとりを見るたびに、悲しくて悲しくて、悲しくて。


赤西を否定する人がたくさんいたのも、悲しかった。
大好きだったんだもん。6人のKAT-TUNが。
白より黒が似合って、最高にかっこよくて、最高に可愛い6人が。なにより好きだった。


なのに、抜けた途端手のひらを返したように批判し、6人の時代を、6人を好きでいることを否定されるのが、悲しかった。

 

 

だって、みんな赤西のことだって好きだったじゃん。

 

キラキラの笑顔で、KAT-TUNの楽曲に綺麗な歌声をのせる赤西が、ちょっととぼけて笑う赤西が、
わけのわからない会話を広げる仁亀も、くだらないことに笑う2Jも、KAT-TUNのパブリックイメージに忠実なOXYも、お互い頑固なbutterflyも、兄弟みたいな中西も、みんな好きだったじゃん。忘れちゃったの?


5人になってしまったKAT-TUNが必死で頑張っていたのも知ってた。ただ、目をつぶっていた。いままでで一番好きになった人がいままでで一番好きになった場所にいないのが辛くて、その場所を手放してしまったことが受け入れられなくて。


けど、赤西のことは、責められなかった。
責める気になれなかった。

 

だって、人生ってさ、1回きりなんだよ?

 

仕事って、生きるためにお金を稼ぐ手段であって、プライベートを充実させるものであるというのが私の大前提にある。人生の中で大きな部分を占めるとはいえ、自分の人生そのものではない。もちろんお金を貰っている以上与えられた仕事をこなすのは当たり前のこと。そういう面では脱退直前の赤西の態度は本当に目に余るものがあった。


けれど、人生単位で仕事について考えたとき、自分のやりたいことはKAT-TUNではなかったと言われてしまえば、なんと言える?

 

強制なんてできなかった。

だって、好きになった人には、いちばん幸せになれる道を選んで欲しい。

 


そう思って、それは今も変わらないんだけど、けどやっぱり赤西を見ていられなくて、KAT-TUNも見ていられなくて、大学生活が忙しいのもあってしばらく目を背け続けて。

 

 

 

 

 

KAT-TUNをあんなに愛していた彼が去ったときも、情報をシャットアウトしていたせいで、詳細も知らないまま時が過ぎて。


いや、ショック受けたよもちろん。


大好きだったKAT-TUNがまた形を変えてしまった。

けどそれも見ないようにしてて。頑張ってねこーき、幸せになってね、って思って、でも悲しいって感情も湧かないように、それに関しての記事も読まなかったしKAT-TUNからのコメントにも耳を塞いだ。そのせいで、今そのぶんの悲しさも来てしまっているのだけど。

 

 

 

なんとなく赤西が音楽活動を続けていたのも耳に入ったし、こーきがバンド活動を始めたのも知っていたし、KAT-TUNがそれでも前を向いて頑張ってるのも、本当になんとなくだけど知ってた。応援したくてCDを買ってみたりもしたけど、封を切らないままずっと棚に置いてあった。

 

どれかひとつでも情報に目を向けてしまったら、またあのときの辛かったことを思い出してしまう気がして。
こーきの脱退にも、同じように辛い思いをしてしまう気がして。

 

少しでもKAT-TUNについて知ってしまったら、また当時のように応援したくなるだろうということもわかってたから、好きだという気持ちが自分の中にあるのも知った上で、全てから逃げた。DVDもCDも全部棚に置いてあるのに、結局赤西の脱退のあの一週間から一度も映像でKAT-TUNを見ることはなかった。

 

 

 

私の中のKAT-TUNは6人のままだった。

 

 

 

 

 


それから2年経った11月のあの日、バイトの休憩中にツイッターを流し読みしてきたら目に飛び込んだ赤いロングコートと田口脱退の文字。

 


びっくりした。ただただ、びっくりした。

 

一度も見たことのなかった4人体制のKAT-TUNを、こんな形で目にすることになるなんて。

 


初めてみた赤西も聖もいないKAT-TUNは、私の知っていたKAT-TUNではなくて。


どんなときも動揺を見せない亀の表情が苦しそうで、中丸が憔悴しきってて、たっちゃんが口をぎゅっと結んでいて、いつも笑顔の田口に笑顔がなかった。

いつも強くてかっこいい姿しか見せないKAT-TUNが、弱さを必死に隠していて、ぎゅっと4人で何かから耐えているように見えた。

 


赤西の脱退以来動かさなかった私の気持ちが揺らいだ。

 

 


そしてあのベストアーティストからしばらくたった日、10周年記念コンサートと春からの充電期間発表。


もしかして、KAT-TUNをもう見れることはなくなってしまうかもしれない。

そんな危機感が胸をよぎった。

目を逸らしちゃダメだと思った。応援しなきゃ、と思った。

 

6人を一度も見れなかったことをずっと後悔していた。

ずっと6人という形が変わるなんて思ってもなかったから、気付いたときには後悔するしかなかった。

こーきの脱退もそうだった。

そしてまた一つ後悔が増えて。

 

 

これ以上後悔したくなくて、好きという自分の気持ちにこれ以上嘘を吐きたくなくて、好きなものを好きと素直に言える自分でいたくて。

 

そんな思いで、6年ぶりに、KAT-TUNに会いに行こうと決めた。

 

 

 

もちろん迷ったよ。いろんな意味でたくさん迷った。行っていいのかとも思ったし。

けど、今までに一度でもKAT-TUNを好きになってくれた人ら来て欲しい、KAT-TUNとみんなでお祝いしたいっていうかめの言葉に後押しされて。

行こうと決めてからは早くて、チケットが出回り始めた頃だったからすぐに色んなとこで探し回って、運良く東京公演を2日分譲っていただけることになって。


久しぶりにKAT-TUNの曲を聴いた。

私が好きだった6人の曲も、5人の曲も、4人の曲も聴いた。知らない楽曲がたくさんあった。

4人の歌声を聴いたのは初めてだった。
なにより大好きだった高音のフェイクもなくて、KAT-TUNの楽曲のイメージを濃くしてたであろうラップもなくて。
けど、どの曲を聴いてもKAT-TUNらしくて、それどころか、私が知っていたKAT-TUNより歌も上手くなって二つの大きなパートを失ったことを感じさせない完成度で、私が目を背けている間にもKAT-TUNはこんなにも前に進んでいたんだと思って涙が出た。


3月22日には久しぶりにCDも買った。

あえてフラゲはせずに、10年目のその日に買いに行った。ケーキを買ってひっそりとお祝いもした。

TLに流れた2人のお祝いの言葉に泣いて、PV集のReal Faceを見た瞬間に泣いて、デビューからのひとつずつの楽曲を聴いていく度に泣いた。

なにより、君のユメぼくのユメをその日初めて聴いたとき、かめの歌声でメロディが始まった瞬間、涙が止まらなくて。自分でもびっくりするくらい。

 


誰より高く飛びたくて、ずっと走り続けてきて。
翼が切れてしまいそうな日もあったよね。
ギリギリの夜も、あったよね。

 


どんな気持ちで、この曲を歌ったんだろう。結成してからデビューまでずっとKAT-TUNという船を作るのに必死になった5年間、そしてデビューから何度も傷を負いながら、船を進めつづけた10年間に色んな思いが溢れて、涙がほんとにほんとに、止まらなかった。

 

 

3月25日、4人最後のMステも、観た。リアルタイムで4人を観るのは最初で最後だった。

 

最後まで、KAT-TUN田口淳之介は一欠片も後悔を見せなかった。彼なりの美学でありけじめだったのではないかと思う。憶測でしかないし盲目だと言われてしまえばそれまでなのだけど、私にはそう見えた。

だって、結成当時から唯一KAT-TUNが好きだと言っていた彼が、KAT-TUNのTとしての決して短くない歴史に終止符を打つことに、寂しさを少しも感じないなんて思えなかったんだもの。

 

4人最後のパフォーマンスが始まってしまったことに、そしてKAT-TUNとして最後の表舞台で、絶対に悲しさを見せてはいけない中で、5年分の思いを乗せたデビュー曲であるReal Faceをどんな思いで歌っているのだろうと、15年分のKAT-TUNとしての思い出を振り返ったりしているのだろうか、なんて考えてしまったらもう。切なさしかなくて。

そしてそれを見送る3人の気持ちを思うと、番組の間ずっと無表情なくせに泣き出す前みたいな顔したなかまるの思いも、いつも誰よりもネガティヴな気持ちは表に出さないかめがぎゅっと口を結んだ瞬間も、全国の生放送で気持ちを抑えられなかったたっちゃんの涙も。新たな旅立ちとひとことで言ってしまうにはあまりにも辛くて。いろんな気持ちが痛いほど画面越しに伝わってきて。

 

そこには4人いるのに、用意されたのは3本の道。どんな気持ちで歩いたのだろうか。
桜が舞う中で歌う3人をどんな気持ちで見つめたのだろうか。

 

好きになってから10年と少し経ったお別れの日のあなたは、初めて見た時と変わらない笑顔でした。


3人のコンサートが成功しますようになんて、どんな気持ちで言ってたのだろう。

 

感傷に浸っている間にあっという間に3月が終わり、KAT-TUNのページから田口淳之介の文字が消えた。船員が船を降りるのは3度目だったけど、1度目2度目とは違い前もって告知もされていたけど、やっぱり、やっぱり、つらかった。


否定的な意見もたくさん目にしてしまったけど、私はなにより感謝をあなたに伝えたい。


15年間Tを担ってくれてありがとう。
楽しかったことだけじゃなくて辛かったこともたくさんあったよね。きっと平坦な道ではなかったと思うけど、楽しかった思い出がいちばんにあなたの胸に残っていますように。そしてあなたがきっと今日も笑っていますように。

 

 

 

そして4月

3人のツアーがついに始まった。ネタバレもセトリも何も見ずに向かうつもりだったのだけど、オープニングがGOLDだという文字が目に入り、思わず泣いた。

 

ジュニアを一切付けずに3人とファンで作る3時間の空間。
セトリは見ないつもりだったのだけど少しずつ入ってくる情報に、懐かしい曲たちに楽しみな気持ちが膨らむ反面、今までになく長く語られたという最後の挨拶に不安も同じだけ膨らんだ。いつも安心をくれるかめの言葉がいつになく心細く見えて、充電期間と今のKAT-TUNの状況が思ったよりも深刻な状況なのではないかと、文面で見てしまったからなのだろうけど、かめからの言葉だからこそ、不安になって。早く東京公演に行きたい気持ちとその日が来てしまうのが怖い気持ちでどうしようもなかった。周りにハイフンが全くいないからこそ、気持ちを分かち合う相手もいなくて、余計に。


オールスターのたっちゃんのマラソンを見て泣いたり、夜会を見て泣いたり、気付いたら4月も終わりに差し掛かって、ついに始まった東京公演。

 

 

 

4/30、2010年の東京ドームぶりのKAT-TUN

 

久しぶりにグッズ列に並んで、3人分のうちわとペンライト、魂T、パンフ、バスタオルなどを買っている間にもどんどん会場前に人が増え、あぁこの人たちもみんなKAT-TUNが好きなんだと、きっとみんな気持ちは同じなのだと、行きの電車でグッズを持っている人を見る度にも、嬉しくて。

 

4/30の公演はスタンド1階中列だったのだけど、開始10分前くらいかな?斜めうしろの人がKAT-TUNコールを始めて。

 

はじめはなかなか広がらなくて、3人くらいでひたすらKAT-TUN!って叫んでいたのだけど、何人かが一緒に拍手を始めた途端みるみる一塁側スタンド中列、一塁側スタンド全体、会場全体って広がって。

公演前なのに少し泣いた。

KAT-TUNが愛されている空間が嬉しかった。

 

ドキドキしながらコールを続けていたら、ついに暗転。

GOLDから始まり、一気に盛り上がる会場。

 

 

 

あぁ、KAT-TUNだ。

 

これが、この人たちが、私は好きだったんだ。

 

広いと思った東京ドームをたった3人で一気に支配していく様にドキドキが止まらなかった。

 

久しぶりに見た生のKAT-TUNは私が好きだった頃と変わらずかっこよくて、かっこよくて、かっこよかった。どこまでもかっこいい人たちだった。心配なんていらなかった。3人になっても、KAT-TUNKAT-TUNだった。

 

久しぶりのKAT-TUNに驚きとドキドキと色んな思いが止まらなくて、あっという間に終わったその日の公演。この日の気持ち、そのまま書き残して置けばよかったな。ちょっと後悔。

 

 

 

 

そしてついに来てしまった5/1。

 

前日と同じように自然と始まったKAT-TUNコールの中聞こえてきた円陣の声に、同行した子と2人で泣いた。

 

最後の出航という言葉にも、今日が何の日かわかってるのかという煽りにも、開始早々から涙が溢れて仕方なくて。

 

一曲一曲、噛み締めながら、 3人の姿を目に焼き付けた。

 

今までに行ったコンサート(KAT-TUN以外も含めて)のどの公演よりも、誇張とかなく、熱気も歓声もすごくて(これについてはKAT-TUNも触れてたけど(笑))、大事な日なのだと、会場のみんなが思ったとおもう。

 

曲が最後に向かうにつれて、気持ちの昂りもそうだけど、あぁ、終わってしまうんだという気持ちがどんどん強くなって。

 

4Uを歌ったときも、UNLOCKが終わってしまったレーザーが止まった瞬間も、君のユメぼくのユメにも、なかまる、たっちゃんの涙にも、かめの強さにも、涙が溢れて仕方なかった。

 

KAT-TUNでいてくれてありがとう。

KAT-TUNを守ってくれてありがとう。

 

かめが、6人の名前をひとりひとり口にした瞬間、自分でもびっくりするくらいいろんな思い出と涙が止まらなくて。

 

 

 

6人ともを好きになって、6人のKAT-TUNが大好きで、3人にはなってしまったけど、やっぱりKAT-TUNが好きで、いなくなった3人も応援したくて、けど自分が大好きだった赤西がいなくなったことでKAT-TUNに迷惑をかけたことも、それでしばらくKAT-TUNから目を背けてたことにも、今でも6人の姿を探してしまうことにも後ろめたさが消えなくて。

 

けど、かめの、3人への感謝の言葉に、全てが許された気がした。

 

私のKAT-TUNを好きになってからの12年が、赤西がKAT-TUNを去ってから苦しんだ6年が、報われた気がした。

 

 

 

10ksのオーラスに行ってから、もう目を背けないように、後悔をしないように、INKTのライブにも行った。

 

違う仲間と、違う音楽を奏でる聖に心は痛んだけど、楽しそうに歌う聖に、笑顔に、安心した。6人の中で、いちばん心配していたのは聖のことだったから。

 

 

 

そして来週、誰よりも何よりも好きだった、赤西仁に、会いに行く。

 

正直まだ少し怖いけど、もう目を逸らさない。

大好きだった人の追い求めた世界を、感じに行く。きっと、また好きになる。

 

 

 

 

 

KAT-TUNでなくなってしまった赤西も、田口も、聖も、現在の姿を見る度に、この人たちがまだKAT-TUNにいてくれたら、という気持ちが消えないと言えば嘘になる。

 

KAT-TUNがいまも6人だったら、どんな世界を見せてくれたんだろう。その思いはきっとずっと消えない。

 

赤西の歌と空間演出の才能と、聖のラップと、田口のダンスがKAT-TUNと合わされば、どんな素晴らしいものが見れたんだろう。きっと、誰も敵わない。

 

 

 

 

けど、私はこれからも6人が決めたそれぞれの道を、応援する。もう逃げないよ。

 

 

亀梨和也

赤西仁

田口淳之介

田中聖

上田竜也

中丸雄一

 

 

いつか愛した6人に、誰よりも幸せな未来が待っていますように